テレビ番組がなぜ面白くなくなったか、マスコミュニケーション時代におけるバラエティー番組のツールの相対的低迷にフォーカスしつつ、何を表現し、何を見せてきたのか、これからの使命は…について一風変わった文章で提言している。その中で目に留まったのは、テレビ放送におけるバラエティー番組が直面する時代の閉塞感を次のように表現していたところである。
“経済の先詰まり感、政治の停滞感、行政の不透明感、国際情勢の不安定感、地域の尻すぼみ感、家庭の孤立感……。21世紀最初の10年間、私たち一人ひとりはこうしたさまざまに気を滅入らせる現実に囲まれて暮らしている。それぞれがなぜ起きたのかわからないまま、誰もがこれら幾重にも押し寄せてくる閉塞感を肌身に感じながら生きている。”
日本で感じる強い閉塞感をなかなか言い当てているところだ。ドラえもんのエンディングテーマで歌われていたような「未来の地球っ子」の明るい新世紀は、いまだ見えていないように思える。生活は豊かなはずなのに、精神的な脆さが頭をもたげてくるように感じている。
“厄介なのはどれもこれも、我が身の責任も多少は関わっているように感じられて、でも、自分だけではどうしようもないことばかりということ、鬱陶しい。落ち着かない。先が見えない。世の中、何が起きてもおかしくないし、何でもありかもしれないが……だかこそ、せめて最低限の、いちばん基本になるところだけは、自分なりにしっかりしておきたい―。”
無力感だけでは食っていけないが、自分ひとりのちからで世の中の矛盾に立ち向かおうとしても大多数が非力を知って終わる。世界や世間がシステム化しすぎて、個人の存在、潜在能力を矮小化しているのではないかと思う。となると、どうしても考え方は内向的に、保守的になってしまいがちになるのか。お互い様、でもっていた社会性が無くなりつつあるのは、こうした自己防衛反応の結果と言えるだろうか。
“かつでの視聴者を取り巻いていた旧習・旧弊はずいぶん少なくなったかわりに、世の中に根を張った生活信条があるわけでもない。あるのは、あちらこちらから、ときには地球の裏側や近隣の国々からも押し寄せてくる巨大な力に揺さぶられているという実感。王様の姿は見えないのに、その乱暴な暴力だけはある。それに正面から立ち向かう方法を見つけ出せないまま、ぎすぎす、いらいらする世間の空気。そんななかでは、せめて「自分なり」に「生きることの基本」を決めるしかない……。”
ボーダレス化する社会、グローバル化が影響しているのではないかと思う。そしてそんな見えない大きな力に、既存のコミュニティーは然るべき対処法を持ち合わせていない。
かなり強引にトピックを引っ張ってみるならば、先般の行政刷新会議だって、ずいぶん乱暴な力がまかりとおったと思う。そして、あの手法が問題だと思うのは、既にある閉塞感の社会でなんとかもっていた人たちのマインドをも突き落とすような議論がなされたことにある。仕分け会議の議論になっていないことまで、まとめ結果に反映されている、というのは、やはり結論ありきのプロセスに過ぎないと言えるだろう。やり方にまったく愛が感じられない、人間的な暖かさも。友愛社会の実現というが、内輪の友愛を促進するためのものなら、一族の中で勘弁してもらいたいと思う。
でも付け加えるならば、母国を離れ海外で活躍する人たちには、「自分なり」の「生きることの基本」が明確な場合が多く、幾重にも輝いて見える。自分の生き方がまっすぐに見えているように映るのは、彼・彼女の生きている世界が、常に荒波の海であることにも理由があるだろう。だから、僕自身の自分なりの生き方として、今の年代を考えるならば、日々に流されることなく、目標をもってしっかり生きて生きたいと思うのである。
“バラエティーは報道とちがい、不定形こそが特徴の番組スタイルである。その自由さの内には、放送というメディアに課せられた枠それ自体を揺さぶり、ときには突き破ることによって、人々の心を解放し、四方八方に広がる共振と共鳴を生み、より自由な公共空間と社会を作り出していくという働きが潜んでいる。”
バラエティー番組の範疇を超えて、人間性の不定形さに着目したとき、自分はどんな自由さを身に着けることができているだろうか。その自分は評価されることを望んでいるのか、自分なりの規範で自分を律することに満足する自分であるのか。
時代を作る、世相を映すメディア側を監督する立場のBPOが報告したかったのは、生きることの基本を大切にしつつ、そこに大切なエッセンスとしてのバラエティーの役割を浮かびあがらせ、もう一度テレビを通じて社会を活性化させたいという期待の現われがにじみ出ているように感じた。そしてそこに、個人のおかれた状況をうまいこと表現してみせたのは、さすがメディア業界だと感じたところである。
参考:「最近のバラエティー番組に関する意見」(放送倫理・番組向上機構, 2009)
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