アーモンドの花も美しい。バラも伸び伸びと芽を伸ばしていく。火焔樹のような花もある。 雪解けとともに、街中の工事も再開し、土埃も舞う中、また新しい街づくりが進んでいく。
先月末、ヘリコプターに乗ってカブール市内上空を回る機会があった。
想像していた以上に市内の裾野が広がっている様子や、格子状に住宅が密集しているのが見える。2001年から比較して、150万人から300万人へと人口が2倍に急増したというのも実感できる。レンガ積みの茶けた街並みが整然と広がっている。
少し高度を下げてみると、こちらを見上げている人たちもみえる。
市の中心部から郊外へと真っ直ぐに整備された道路が、小川の架橋部分で途切れている。橋の工事は後回しのようだ。
なぜアフガン赴任を希望したのか、という原点に返ったとき、自分にどんな答えを出すことができるか、その辺り少し時間をかけて探してみたいと考えている。
カブール州北部のバグラム地区は、川の水をうまく引き込んで緑豊かな耕作地域が広がっている。ブドウ畑の灌漑水路が、あまり見かけない変わった形の畝を作っている。川や池の中には、デコイが浮いていて、太陽光に反射してキラキラしている。林や生垣、土壁が隣家との垣根を形成している。
広大な新都市予定地域には、所有する土地の境界線を主張する仕切り壁が作られていたりするが、それでもなお余りある土漠地域には、定住地を持たない遊牧民のテントや人影もみえる。
カブール市内の土嚢壁や高い防犯壁、鉄条網に囲まれた生活とは無縁の地域。狭い市内に、重厚な安全対策を敷いて生活しているのが、滑稽に思えてくる。
この2年間、長く滞在していただけで、なんらかの成果はあったかなぁと、後ろ向きになることがある。
滞在と休暇を繰り返しているうちに、あっという間に時間だけが淡々と過ぎて行った感じ。他国に赴任するのとは、やはり事業環境が違う。
滞在と休暇を繰り返しているうちに、あっという間に時間だけが淡々と過ぎて行った感じ。他国に赴任するのとは、やはり事業環境が違う。
現在、また日本に帰ってきて、ボケッとのんびりした時間を過ごして、カブールを振り返るにしても、なんだか遠い向こうの話のような期がしてきて、ホント何をやってきたのかわからない、と惑うこともある。
それはきっと、仕事関係の広がりに欠けているせいもあるだろうし、カブールで長いこと滞在した割りに、カブールに対する根が浅いからだと思う。
それはきっと、安全対策上の様々な制限が影響しているかもしれないが、(生活的な面で全然地域に溶け込めていないから、よっぽど休暇で訪れた先の出会いの方も面白かったりするし)、それ以上にそれ以上を求めることができなかった、自分自身の退屈さも影響していると思う。(窮屈さになれてしまって、それ以上を求めなかった。)
それでも、立ち上げに携わった道路維持管理の能力開発プロジェクトはこの3月末にようやく始まったし、カブール国際空港ターミナルも完成間近である。保健医療プログラムも後任の大活躍で、ますます盛り上がってきた感じもあるし、今担当している安全対策関係も、だいぶ強化されてきた。目覚しい成果はないものの、着実に一歩一歩を進めることができたのではないか、と思う。
おかげさまで素晴らしい上司や同僚に支えられたし、いろんなことを相談できる素敵な仲間にも囲まれて、ここまで無事にやってこれた。
当初予定だった2年の派遣期限もすっかり過ぎて、残りの滞在期間も見えてきて、焦っても焦っても進まなかった時期もあったことも考えれば、今さら慌ててまとめあげる成果も特にあるわけでもない。
なぜアフガン赴任を希望したのか、という原点に返ったとき、自分にどんな答えを出すことができるか、その辺り少し時間をかけて探してみたいと考えている。
いろいろな情勢・事情があって・・・と自分をごまかしてきた部分も含め、できなかったことを反省するよりも、できたことを反省するつもりで。
1 comment:
きっと、そこでの時間や感じたことって、あとから噛み締めて消化していくようなものなんだろうな、って思います。
行ったことないけれど、本当に大変な職務&生活環境だと思う。
長い人生の中で、きっと他の時間とは違う何かを感じた日々だったのではないでしょうか。
私も、あと1年ぐらい、何ができるか考えてみます。
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