Friday, February 29

After Severe Cold Winter

この冬のアフガニスタンは非常に寒かった。

ゲストハウスの水道も2回ほどカチンコチンに凍ってしまい、水が使えない。一酸化炭素中毒予防ということで、ガスストーブを使わせてもらえず、セントラルヒーティングと電気ヒーターに頼るが、足元を暖めるだけで精一杯。電気供給も不安定で、深夜には停電が起きてもなかなか自家発電に切り替えられず、仕方ないから布団に潜って耐えて過ごすしかない。まだ暖がとれるだけまし、か。

アフガン全土でみると、西部地方を中心に襲った大寒波によって、926人が犠牲となり、31万頭の家畜が失われた。豪雪による家屋の倒壊や、凍傷による重傷者もかなり出ている。

アフガン政府公衆衛生省は緊急事態声明(Emergent Alert)(「緊急事態宣言(Emergent State)」でははない)を出し国際社会に大寒波災害に対する支援を要請。日本政府も呼応し、緊急支援の実施を決めた。日本の援助物資はカブールに到着後、国際治安維持部隊(ISAF)の手を経て、ヘラート州とジャウジャン州に届けられた。ISAFとの連携は、物資輸送能力が不足しているアフガン政府にとっても、また地方へ直接の援助物資を輸送する術を持たない日本政府にとっても、有益な手段と思われる。県知事の要請によって駆けつける災害援助を行う自衛隊を想像すると分かり易い。軍民協力(CMiC: Civil Military Cooperation)は、緊急支援において、その機動性が強みとなる。

アフガンにも自衛隊がいればもう少しうまく物資の受け渡しができた、と、この時ばかりは自衛隊が派遣されていたらなぁと恨めしく思いつつ(実際には来て欲しくないが)、10トンの援助物資をカブール空港の税関からNATOの空港施設内に移動する作業は骨が折れる仕事だった。

普段の行政能力を超えた対応も期待できるはずも無く、受取人のアフガン政府もキャパが無いまま、援助物資の引渡しの後は配布希望先を伝えてきたきり、緊急援助物資の税関手続きは普段とは違って特別扱いで作業も簡素に・・・のはずが、特別すぎて大統領府まで書類が回って、すぐに資材が動かせない状況に。公衆衛生省の災害対策委員会に配布先の検討を任せたら、食料品が足りない、除雪が必要、んだかんだで、まったくまとまらない。先方政府のオーナーシップは大事。プロセス重視と思って様子を見守っていたが、それきり10日もかかってしまった。なんだかおかしな方向に進んでしまったのが運のつき、結局、公衆衛生省の要望をハイレベルで確認した上で、現地への配布まで日本が面倒を見ることになった。

「軍民協力」も聞こえはよく、自分自身憧れと過分な期待を抱いていたが、実際の現場では様々な壁にぶつかってかなり消耗した。いったん預け入れてしまった空港税関から資機材を移動する際の障壁。何も事情を説明されていない税関職員にとっては、日本人がトラック三台を乗り付けて10トンの荷物を動かそうとする光景は誰が見たって不審に思う。(ここで丸1日消費。)ISAF軍基地自体へのアクセスの困難さ。CMiC担当官は、基地内のどこそこまで入って資機材を置いていけばいいとのたまうが、そもそも一般人が基地入り口のゲートを入ること自体困難。エスコート無しにそんなに簡単に基地に入れるはずがない、という前提をまったく忘れている。かつ高度なセキュリティー。日本人だからと言って中に簡単にいれてくれるような軟な場所ではない。機能ごとにユニットで動く軍人間のギャップ。(何かつけて横の連携が取れていない。変更事項が伝わっていない)。軍は定められたことをキチッと回していくことには長けているが、普段と違うことをしようとすると、極端に硬直化するものだと勝手に認識。基地外から資機材を運ぶ際には、探知犬によるスクリーニングが必要で、かつ24時間前の予約が必要だと・・・あの、あと1時間後には荷物が運び出せ予定なんですが・・・。なんだかんだで振り回されることになる。

ISAF側も人道支援に人員を割いている余裕もそれほど無い様子で、通常業務の合間を縫って協力してくれている。最終的に基地に運び込んだ資材のハンドリングができたのは、自分とトラックの運転手2人の3名だけで、ISAF側も探知犬ユニットの3人と搬入先管理に立ち会った2人のみ。滑走路脇のエプロンで、軍用機が作戦を終えて帰還する夕暮れ時、資機材の荷降ろしを行ったのは、後にも先にもここだけだろう。頭の中では「トップガン」のBGMが鳴っていた。トラックの運転手も、「運転はするが、作業するなんて聞いてない」、とブーブー言ってすねちゃうから、なだめすかしつつサボらせつつ、2時間半かけて何とか作業終了。翌日、荷物は被災地に向けて運ばれていった。いやこっちも基地内で作業するのは想定の範囲外ですよ、まったく泣きたいのはこっちだ、とも思った。

帰り道、迎えに来てくれた事務所のドライバーにねぎらいの言葉をもらったが、少しひっかかった。上司に言わせれば「そこまでやる必要はない。」と、この作業のためにナショナルスタッフの休日出勤をアレンジしたら一蹴されてしまった。確かにその通りではある。「被災地で寒い思いをしている人たちのために頑張ってくれた」というドライバーの言葉はありがたいが、それは自己満足のための貢献ではなかったか、本当にこの国人たちのためにと思っているのなら、どうせ期待できないオーナーシップを待っていたのではなくて、さっさとカットインして調整してしまえば良かったのではないか。
仕事のプロフェッショナルさからみれば、全く対照的な行き当たりばったりの交渉と作業によって今回は完遂したと言える。きちっとフィードバックし、教訓をまとめておかないと、再現性は保たれない。同じことを繰り返すようなことはやりたくないので、もっとマシな方法を考えておくことになる。

自分の領分以上の業務をやってしまえば、例えば次にまた同じ事態になれば、アフガン政府はまた他人任せになってしまうし、ISAF側もどこまで責任をもってやればいいのか、逆に日本がそこまでやってしまえば、また今度そこまでやってくれるだろう、と思われてしまう。自分が担当しても、他の誰が担当しても、同じように仕事が進められて、同じように完遂できる、これが組織の仕事だ。そんな意味で、僕の仕事のやり方はまったくもって組織的ではない。ゴリ押しの一辺倒。時に求められる迅速性と柔軟性をもってしても、今回のそれは本来あるべき仕事の進め方ではない。何をやるにしても時間がかかってしまい、コネや権威が幅を利かせているこの国で、馬鹿正直に物事を進めるほど余裕はないと思いつつも。

この国の季節は一瞬にして、唐突に切り替わる。
先週は大荒れの風雪舞う一日だったのに、すっかり陽だまりの気持ちいい穏やかな天候になった。
残っていた雪もすっかり解けた。凍っていた土も緩み始め、事務所の中庭の緑も少しずつ湧いてきている。フィンランド人の同僚は半袖シャツで登場。いや、幾らなんでも気が早いでしょ、と思ったが、今日も半袖だった。週末のゲストハウスにはバトミントンに興じる人たちの歓声が響いている。
春が来た。

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