Wednesday, August 30

Beijing - 2 "Forbidden City"

振り返って、北京到着初日、会社の先輩にお願いして「北京ダック」を食べに連れて行ってもらう。
う、うまい・・・。
ちょっと砂糖を付けて、口に入れる。
あ、あまい・・・。
口の中で溶けていく北京ダック。

意外と多めのソースを付けて食べるんだなぁと、テーブルサイドで巻いてくれる女史の手許を見ながら思う。思ったより味が濃くなくて、おいしい。

北京滞在2日目。
さっそく天安門広場に行く。
すっかりおなじみの光景。既視感を覚える。俄かには自分がここに来た実感が湧いてこない。


続いて、故宮(紫禁城)へ。
中は想像以上に広大。日差しが暑い。

上半身裸で歩いている観光客がいる。地べたに座る人たちがあちら、こちら、そこかしこ。

アブラゼミの鳴き声のする玩具が流行っているのか、所々で売っている。
人混みに紛れて、水を売る人、アイスを売る人、広告をカバンに挟みこんでくる人、空のペットボトルを集める人、市内地図を売る人、五輪グッズのストラップセットを売る人、イヤホンを付けて案内に聞き入っている人、制服を着て家族を案内する人民解放軍の人。同じ帽子を被ったツアー客。欧米人に付いて英語で通訳する学生らしき人。日傘を持って人混みの中をぶんぶん歩いている人。3世代の家族旅行連れ。


と、すっかり世界遺産を目の前にしておきながら、人間模様に気を取られている自分。
故宮はとても広すぎて、すっかり飽きてしまった。

ならば眺めの良いところから故宮を眺めようと、景山公園へ行ってみたものの、頂上の楼閣は工事中。オリンピックに向けてか、街のいたるところで工事が進んでいる。
故宮の太和殿も実際のところ改修工事中だった。

いつか中国に行きたいと思っていた。
いつか読んだ朝日新聞のコラム。こんな風にはとても書けないが、お勧めです。
http://www.asahi.com/world/china/manpo/050201.html

3日目、頤和園を目指して、地下鉄(1号線→2号線→13号線)とバスを乗りつぐ。
13号線は日本の技術が入っている。改札システムやホームの仕様がそっくりだった。
車両は中国製だろうか。道路がきれいに整備されている。通りもきれいに掃除されている。
そこにあるのはごく普通の都市だった。
無事に現地に到着。チケットを買って、南側入場口から中に入る。またしても広い・・・。
歩くのも億劫なので、ちょうどあった渡し舟に乗ってみる。

頤和園のガイドを読みながら、通過する風景を眺める。
何か違う。。。おかしいなぁ、今何処にいるのだろう、と陸に上がって園内案内板を見ると、北に西洋楼の遺庭が載っている。
そこは円明園だったことに今さら気付く。
どこで何を間違ったのか、暑さにやられたか。思わず苦笑い。
その後、頤和園に行く気にもなれず、バスを探す気力も無く、タクシーに乗って円明園を後にした。


メーターとにらめっこしながら向かった先、什刹海の胡同に行く。
下町情緒の胡同巡り・・・と思ったが、どうにも観光客だらけで気分が乗ってこない。

輪タクをケチってや四合院の中に入らなかったからかも知れないが、
ただの取り残された未開発地域に見えた。
目に見える風景と、耳に入ってくる音への違和感を覚える。
なんだろうなぁ。 なんか違う。
什刹海沿いの喫茶店でお茶を飲む。
湖面を眺めていると、水面をすーっと流れる何かがいる。
結構な数が泳いでいた。 時々予測のつかないところに人がいる。

王府井のホテルに戻って写真をみる。
珍しく人物の写真が少ない、風景ばかり取っていたのに気付く。

3日目の夜は雨だった。
ふらっと外に出かける。足の赴くまま、天安門に辿りつく。22時。さすがに人通りが少ない。

電話ボックスに寄りかかる若い女性。ぼーっと通りの向こうを眺めている横顔に惹かれる。
雨に打たれているのに微動しない。
地方から都市に出稼ぎにきた若者は、昼間は働き、時間の空いた夜だけ外出するという。
友だちと遊んだり、デートをしたり。
彼女がその一人かどうかは定かではないが、以前どこかで読んだそんなコラムをふと思い出しながら勝手にイメージに当てはめて視線のその先を想像する。

天安門と天安門広場を結ぶ地下道を通る。
雨宿りしている人がいる。ホームレスらしき人が寝ている。子供連れの親子が重なり合って寝ている。何してるカップルがいる。浪曲みたいなのを歌い続ける老人がいる。小さなカバンに膝を抱えてうずくまる少年。

天安門前には身じろぎせずに直立不動の警備兵が雨の中たたずんでいる。
よく見ると立っまま寝ていた。思わず「お疲れさん」とつぶやいた。

なんかいつもの旅行とはまた違ったいくつかの感覚を覚えた北京市内旅行だった。
北京ダックを食べに連れて行ってくれた先輩の言葉を思い出す。
大陸的な民族性ってなんだろう、と。

Sunday, August 27

Beijing - 1 "Great Wall"

4泊5日の北京旅行。
途中はまたの機会にして、一気にハイライト。
北京滞在4日目、万里の長城から。

「北京旅遊集散中心」というバスツアー(160元)に参加し、「八達嶺長城?定陵」コースに参加する。
どうも全土から北京を旅行するのが流行らしい。東京見物みたいなものか。周りは中国人だらけ。席が一杯になったら出発するというアバウトさで北京市を出発。
のんびり窓の外を眺めつつ、ウトウトでもしようと思いきや強烈なバスガイドが登場。
長城までの110分の道のり、ず~っと喋りっぱなし。ちょっとボリューム高いのでは?それってカラオケのエコー入ってない?マンダリン特有の音の高さに一睡もできず・・・。原稿無しに喋りきったガイドさん、完敗です。あの、もう現場に到着しているんですけど、まだ喋り続けるガイドさん。早く外に出させて・・・。

喋らなければ日本人とも分からない北京旅行。なにやらガイドさんが回ってお金を集め始めている。確か昼食代は込みのはず。何のお金だ?むむむ???ほどなく自分にも番が回ってきて、言葉が分からないのがばれる。隣の座席のお客さんに好奇の目でみられる。アンニョンハセヨって、言うので、とりあえずHelloでごまかす。いったい何者に見えただろう・・・。

トロッコみたいな物に乗っかって、一気に稜線上の長城まで到達。
城壁は、入口から南北に分かれていて、南は傾斜が急な男坂、北は傾斜が比較的緩やかな女坂と(日本的には)呼ばれているらしい。
自由時間制限の2時間いっぱいをかけてエリアを一周することに決定。
北から登って、南から下ったのだけれど、下るという表現が適切でなくて、非常にきつい。急な坂というより絶壁に近い。南側から登ってきたカップルとすれ違ったが、「なんでこんな目に遭わなきゃいけないの」って感じで彼女のほうが泣きじゃくっていた。無理もあるまいなと思いつつ、自分の行く手を眺めるに、集合時間が気になる。時間内に戻れるのか・・・・。

しかしこんな急な坂では、敵が襲ってきたとしてもすぐに駆けつけられまい。馬で巡回していたともいうが、馬でもあの坂は無理だよなぁと思う。階段状になっているところもあれば、そうでないところもある。手すりにしがみついて下る坂もあり。雨が降ったら滑り台というよりボブスレーがやれてしまうだろう。とあれこれ考えながら進んでゆく。そのうち時間内に歩きとおすことだけが目的化してきた。

長城の望楼からは、遠くに続く城壁が見える。修復されていないようだが、傍目からはどこまでも続く稜線上の頑丈なレンガ壁。
よく見ると、長城の壁は左右非対称だ。敵側と自陣側で少し形状が異なっている。
見事に観光地化していて人だらけの感じでもあったが、前述のとおり物理的に近寄りがたい南側の望楼からの眺めは良かった。途中霧がかっていたが、それもまた良し。
このツアー、昼食付きだった。弁当でも出るかと思いきや、「定陵餐庁」というドライブインみたいなところで昼食にありつく。意外と普通?の中華料理を他の家族連れに紛れて頂いた。

テーブルごとになんだか特色があって面白い。自分のテーブルはバスガイドの手ほどきか、英語の話せる子供連れの組に入れてもらった。みんなおとなしく出てきたものを分け合って食べている。隣のテーブルはチンピラ風(入らなくて良かった)。その隣は、出てきたものを黙々と一気に食べ上げたグループ。その隣は、お母さま二人が何故か立って食べ続けるグループ。大食い選手権顔負けですよ。まったく。
普段使わない筋肉も使って、次の日は全身の筋肉痛に。特に腱が痛い。
海外で現地のツアーに参加したのは初めてだったけれども、旅仲間の動向も含めてなんとも貴重な世界遺産体験になり、久しぶりに大満足でした。

Friday, August 25

After Thirty Years,

8月19日は、アフガンの独立記念日(イギリスから87年目)だった。
30年ぶりに花火が打ち上げられたらしい。
花火の音に混じって、ロケット弾でも打ち込まれそうなものだが、
それだけ国の情勢が良くなっているということなのだろう。

休暇を終えて舞戻ってきたカブール。
独立記念日の名残か、市内に国旗やカラフルな幟が掲げられていたままだったのを見た。
8月から学校が始まり、通りでは子どもたちの歓声が聞こえる。

夏真っ盛りだった中国・日本への旅行とはうってかわって、
すっかり秋めいてきて、朝晩は涼しくなったカブール。
暑さで汗疹やニキビに悩まされていたが、何も無かったようにきれいなくなっていた。
やはり自由に出歩けると違うもんだなぁと、カブールの外にでてやっとアフガン勤務の窮屈さを感じたものだ。旅行の顛末はまた別の機会にするとして、行動範囲が広がることで、経験できることも格段に増えるんだなと改めて考えさせられた。

昨日は、水タンクが壊れて、天井から雨漏りが・・・。机の上も、ホコリだらけで真っ黒。
いつもの環境に戻ってきた・・・というべきか。

環境になれること、業務の流れを覚えることが目標だった、着任から今回の休暇までの第1ラウンド。
第2ラウンドは、仕事の成熟度を増すべく、関係者との良好なコミュニケーション作りやプロジェクトに対する知識の充足に努めたいと思う。
Buru Bakhair!

Saturday, August 5

Going Home

本日より休暇。

アフガンでは6週間に8日間の休みがもらえる。
最大12週間で、16日間まで。
国連に準拠した制度で、リフレッシュ休暇制度にあたる。

ホコリっぽいカブールともしばしのお別れ。

ちょうど夏休み。
北京、東京、実家と行ってきます。

Tuesday, August 1

Even in August

8月になっても何となくノッペリとした毎日のこの頃。
6月からずっと同じような天候だからか・・・。
眩しい太陽、ホコリっぽい空気、寝苦しい夜。
スイカにメロンがこぼれるように出回っている。
日本のようにすごく甘くないが、水分補給にはちょうどいい。

やっぱり自由に外に出られないのは退屈。

先月末、大きなワークショップを開催したが、参加者のテンションはそれほど高まらず微妙な結果だった。
具体的なアウトプットを意識していなかったために、評価するにも値せず。今後の方針を固めるにしても、どうしたものか。目玉案件だったが不甲斐なし・・・・。

週末、DVD「JARHEAD」を観る。
湾岸戦争における海兵隊員の話。
(ピーターサースガードが気にいった。)
夕食時、TV「BBC」を観る。
イスラエルのベイルート攻撃を報道している。
(街が一瞬にして灰燼になっていく。)
帰宅時、仕事を終えての、帰路。
街中をISAFの兵士が銃を構えてパトロールしている。
(銃口が自分に向いているのに気付き、ドキリとする。)

今の仕事の意味、豊かな生活の意味、気になる仲間の様子、
ふと思い出す旅先で見た風景、考えても答えが出ないことを考えて、
無駄に空想して、なんとなく上の空。
ふーむ、自分は何にこだわりながら生きているのだろう。

仕事は山積しているのだが、なかなか捗らない、そんなこの頃。

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