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Monday, December 5

Yunshansonsho gentleman over


今年買ったものの一つが、ノートパソコン。
ご多分に漏れず、3代目のthink padに替えた。今回は通販で、自分好みのカスタマイズ。
マウスオーバーで翻訳してくれる機能が便利。
センテンスの訳は全くあてにならないが、単語の使い方とか、貧弱なボキャブラリーを救ってくれる。

で、とある早口言葉を訳したら、タイトルのような結果に。なんじゃこりゃ。

Thursday, January 27

なんとかセット

最近こんなCMがあったなんて、かわいい姪っこにはとてもではないが、食べさせれられない。
代わりに伯父さんが美味しいお店に連れて行ってあげよう・・・きっと妹夫妻も付いてくると思うけど。

マクドナルドのHappy Setのコマーシャル: http://www.youtube.com/watch?v=ytHUb9U6i7I

いや、いくらなんでもこんなことになるなんて、子どもたちが食べているものに変な薬の類が入っていないか、真剣に調べた方がいいだろう。

こちらの写真は拾い物 ↓


Sunday, April 11

さくらさくら



今年は寒の戻りが長かったせいか、花曇、花冷えの影響もあって、咲き始めから散りゆくところまで長く楽しむことができた。

職場の近くには千鳥が淵に靖国神社。ちょっとその先に足を延ばせば、市ヶ谷から飯田橋にかけての中央・総武線沿いの桜並木。靖国神社と法政大学近くは、サラリーマンと学生の競宴と言ったところか、自分で照明を持ち込んで演出しているあたり、どこかのバラエティー番組の撮影かと思ったくらいだ。

久しぶりに大学の桜も鑑賞。正門から入って大学裏口を抜けて、野川公園へ。そこから天文台まで歩いて、バスに乗り換え、井の頭公園を歩く。
海外で見たアーモンドの花も綺麗だったけれど、こんなに咲きっぷりのいい桜、見ごたえ十分。ほのかな匂いも演出のアクセント。

新芽や若葉が、また新しい季節の訪れを期待させてくれる。


写真 上: 井の頭公園
写真 下: 野川公園


Friday, December 4

Television in the 21st century

11月にBPOが出したバラエティー番組の意見書が面白い。
   
テレビ番組がなぜ面白くなくなったか、マスコミュニケーション時代におけるバラエティー番組のツールの相対的低迷にフォーカスしつつ、何を表現し、何を見せてきたのか、これからの使命は…について一風変わった文章で提言している。その中で目に留まったのは、テレビ放送におけるバラエティー番組が直面する時代の閉塞感を次のように表現していたところである。
   
“経済の先詰まり感、政治の停滞感、行政の不透明感、国際情勢の不安定感、地域の尻すぼみ感、家庭の孤立感……。21世紀最初の10年間、私たち一人ひとりはこうしたさまざまに気を滅入らせる現実に囲まれて暮らしている。それぞれがなぜ起きたのかわからないまま、誰もがこれら幾重にも押し寄せてくる閉塞感を肌身に感じながら生きている。”
   
日本で感じる強い閉塞感をなかなか言い当てているところだ。ドラえもんのエンディングテーマで歌われていたような「未来の地球っ子」の明るい新世紀は、いまだ見えていないように思える。生活は豊かなはずなのに、精神的な脆さが頭をもたげてくるように感じている。
   
“厄介なのはどれもこれも、我が身の責任も多少は関わっているように感じられて、でも、自分だけではどうしようもないことばかりということ、鬱陶しい。落ち着かない。先が見えない。世の中、何が起きてもおかしくないし、何でもありかもしれないが……だかこそ、せめて最低限の、いちばん基本になるところだけは、自分なりにしっかりしておきたい―。”
   
無力感だけでは食っていけないが、自分ひとりのちからで世の中の矛盾に立ち向かおうとしても大多数が非力を知って終わる。世界や世間がシステム化しすぎて、個人の存在、潜在能力を矮小化しているのではないかと思う。となると、どうしても考え方は内向的に、保守的になってしまいがちになるのか。お互い様、でもっていた社会性が無くなりつつあるのは、こうした自己防衛反応の結果と言えるだろうか。
   
“かつでの視聴者を取り巻いていた旧習・旧弊はずいぶん少なくなったかわりに、世の中に根を張った生活信条があるわけでもない。あるのは、あちらこちらから、ときには地球の裏側や近隣の国々からも押し寄せてくる巨大な力に揺さぶられているという実感。王様の姿は見えないのに、その乱暴な暴力だけはある。それに正面から立ち向かう方法を見つけ出せないまま、ぎすぎす、いらいらする世間の空気。そんななかでは、せめて「自分なり」に「生きることの基本」を決めるしかない……。”
   
ボーダレス化する社会、グローバル化が影響しているのではないかと思う。そしてそんな見えない大きな力に、既存のコミュニティーは然るべき対処法を持ち合わせていない。
   
かなり強引にトピックを引っ張ってみるならば、先般の行政刷新会議だって、ずいぶん乱暴な力がまかりとおったと思う。そして、あの手法が問題だと思うのは、既にある閉塞感の社会でなんとかもっていた人たちのマインドをも突き落とすような議論がなされたことにある。仕分け会議の議論になっていないことまで、まとめ結果に反映されている、というのは、やはり結論ありきのプロセスに過ぎないと言えるだろう。やり方にまったく愛が感じられない、人間的な暖かさも。友愛社会の実現というが、内輪の友愛を促進するためのものなら、一族の中で勘弁してもらいたいと思う。
   
でも付け加えるならば、母国を離れ海外で活躍する人たちには、「自分なり」の「生きることの基本」が明確な場合が多く、幾重にも輝いて見える。自分の生き方がまっすぐに見えているように映るのは、彼・彼女の生きている世界が、常に荒波の海であることにも理由があるだろう。だから、僕自身の自分なりの生き方として、今の年代を考えるならば、日々に流されることなく、目標をもってしっかり生きて生きたいと思うのである。
   
“バラエティーは報道とちがい、不定形こそが特徴の番組スタイルである。その自由さの内には、放送というメディアに課せられた枠それ自体を揺さぶり、ときには突き破ることによって、人々の心を解放し、四方八方に広がる共振と共鳴を生み、より自由な公共空間と社会を作り出していくという働きが潜んでいる。”
   
バラエティー番組の範疇を超えて、人間性の不定形さに着目したとき、自分はどんな自由さを身に着けることができているだろうか。その自分は評価されることを望んでいるのか、自分なりの規範で自分を律することに満足する自分であるのか。
   
時代を作る、世相を映すメディア側を監督する立場のBPOが報告したかったのは、生きることの基本を大切にしつつ、そこに大切なエッセンスとしてのバラエティーの役割を浮かびあがらせ、もう一度テレビを通じて社会を活性化させたいという期待の現われがにじみ出ているように感じた。そしてそこに、個人のおかれた状況をうまいこと表現してみせたのは、さすがメディア業界だと感じたところである。
   
参考:「最近のバラエティー番組に関する意見」(放送倫理・番組向上機構, 2009)

Tuesday, July 8

夜明け

節目の誕生日、人に祝ってもらうには気恥ずかしいが、せっかくの日ではあるというこだわりは持っているのでと、空に一番高いところで迎えようと、7日未明の上位クラス航空券を予約した。

あと一ヶ月で本帰国が決まったところで、カブール生活最後の休暇に出ることにした。

6週間おきにもらえる特別休暇もこれが最後。規定の8日間に収まらないので、年休に切り替えた。

滅多に乗らないビジネスクラスの居心地の良さに、かえって目が冴えてしまい眠れない。
エコノミーの横3列の方がよっぽど眠れやすいと思ったりする。
地上ではすぐに酔うくせに、今宵はシャンパン+白ワインを飲んだのにもかかわらず眠れない。

窓の外には、北斗七星が見える。ちょうど飛行機と水平の高さ、窓枠いっぱい散らばる七つ星。
たくさんの星もみえる。バーミヤンで見上げた空と同様、たくさんの星と流れ星が見えた。

2年前の誕生日に決めた目標。「アフガン勤務のあと、復興支援分野で修士号を取りにいく」ということだった。開発援助の現場を直に学んでから、修士号を取りにいくことは、社会人になったときの大きな目標であった。苦手だなぁと思う人付き合いの多い業界で、くじけそうなこともあるが、人と人とをつなぐ仕事だからこその魅力が大きく感じられるようになった。

果たしてその結果・・・・。
イギリスのいくつかの大学院から受入可能通知をもらった。けれども本命は語学の条件付き。英語集中プログラムが提供された大学に入り、アメリカに交換留学までしておきながら、語学が基準点を満たしていないというのは実力不足もはなはだしく情けない話であるが、ぎりぎりまで点数が取れるよう粘っている。

会社から貰えることになった奨学金手続きの関係もあるので、いつまでも粘っているわけにはいかない。2ヵ月後の再出発までの日程を考えると、さすがに渡航手続きもギリギリ。先日受けた試験結果を最後、その結果で受け入れてもらえるところに進学しようと思う。さて、結果はいかに。

フライトアテンダントがコーヒーを淹れてくれた。並々とお替りも注がれる。少し揺れたらこぼれそうな、たっぷり。これでは、ますます眠れない。

妹が6月の母の誕生日にあわせて、懐かしいお店のケーキをお土産に、彼氏を連れて実家へ帰ったとのこと。実家はこれまで3度引越ししているが、一度目の家の思い出が一番良かった、と言っていたことがある妹。懐かしいケーキ屋はその1度目の家の近くだったと思う。母がメールしてきたそんな誕生日のエピソードが気に入った。まだ自分への報告はないが、どうやら先を越されるのかもしれない。

行動あっての結果。やってやれないことはない。来年の今ごろはイギリスである。再来年はどこにいるのだろうか。30代も実りの多い時間を創造していきたいと思う。

Monday, April 21

若葉の頃に。

若葉萌える頃、実家では手作りなんちゃらが始まる。

知り合いの農家から大量に仕入れた朝摘みのイチゴ。
朝5時から母が一人で取ってきたもの。
イチゴが赤くなりすぎると売れないため、地産地消にと譲ってくれる。今年のイチゴは実が大きめで、味もしっかり。そのままでも十分うまい。洗わずにそのまま食べてしまう。

ヘタを取って鍋にほうりこみ、砂糖を入れてぐつぐつ2日2晩煮込んでいく。部屋中に甘いイチゴの匂いが充満していく。

イチゴの実を完全に潰すのではなく、形を残しているのが特徴。これがまた美味い。バターを塗ったトーストの上にイチゴを潰すようにして食べる。

母方の実家では、マーマレード作りが最盛期。
今年の梅干が出来上がっていて、さっそく袋に詰めてくれた。海外に出るときには、いつも持たせてくれる。食べきれずに分けたカブールの宿舎の住人には好評な、この梅干し。今年は少し大きめの粒だ。

祖父が祖母のイチゴジャム作りを手伝うと言い出す。「ヘタを取るぐらいしかできんがなぁ、ハサミでちょいちょいと切ればいいだな、」と、硬派な祖父の優しさがなんとも微笑ましい。

昔の一軒家では、家の生垣代わりのお茶の木の新芽の収穫をする。GW中の新茶作りはオヤジの趣味だった。
今年は地元の地区の浜松祭りに参加するつもりらしい。
相変わらず週末はサッカーの観戦に勤しんでいる。

いつもの定番だけど、その繰り返しもまた、愛おしいと思うこの頃。

補足:写真は一回目の収穫量。更にまた今週末も摘みに行くらしいが・・・。

Wednesday, December 19

Winter Song

12月14日にこの冬初めての雪が降った。
12月19日から第2イードで、一足早い年末年始休暇となった。
大晦日にあたる18日から、週明けの22日まで連休である。
(ちなみに休日調整のため、年末年始は31日と1日だけがお休み。)

12月11日から15日まで理事長がカブールを訪問したため、受入準備等でここしばらくドタバタしていた。16日には新旧所長の交代もあった。

(今となっては前)所長の「おもてなしの心」(by加々美屋)を合言葉に、随所に配慮の行き届いた受入態勢を事務所員全員で作り上げたことで、理事長訪問もつつがなく終えることができた。理事長訪問のニュースが世界を駆け巡るかと期待していたが、来訪直前までプレスリリースを控えていたこともあり、ほとんど報道されることもなかった。アフガンにおける関心の低さか、自分たちの自意識が高すぎたのか、ちょっと残念な気がした。今回の訪問で理事長はカルザイ大統領より勲章を叙勲された。アフガニスタンで女性に与えられる最高位の勲章に相当し、同勲章を初めて授与される栄誉である。

前所長の離任日、出発前の見送りにいったら、非常に温かい言葉を頂いた。正直に嬉しかった。
尊敬すべき人がまた去っていく。人を通じて得る経験は、無二の経験であり、それこそが自分を創りえるのだと改めて思う。貴重な経験を得た分をどこかで還元できる人間になりたいと思う。

例年冬を迎えると少なくなる反政府勢力の攻撃は止むことなく、タリバンの心理戦が続いているのか、カブール市内での事件が高止まりしている。Hit and Awayのような感じで、散発的にロケット弾や市内でのテロが続いている。いつもにまして市内に近いところで事件が起きている点が気がかりである。

初任地が一緒だった同期が会社を辞めることになった。事務所のスタッフも入れ替わる。
特にうちの事務所は出入りが激しい。ナショナルスタッフの歩留まりも高くなく、2,3年で転職してしまう。
人の動静に敏感なこの頃。なんとなく今の自分でいいのかなぁ、なんて考えが頭を巡っていく。いろいろやってみたいことがある。論理的思考に乏しいから、短絡的な思いつきが先に立ってしまうのが情けないところだけど、うまく言葉にできず、行動に移すこともできず、どうしたらいいのか判らない。

しばらくゆっくり考える時間もなかったから、この連休中、のんびりと過ごすことに決めた。これからの自分の駒をどう進めていけばいいのか、とりあえず心の余裕の回復に努めているところ。

ミスチルのライブビデオを見ながら、ボケッと歌詞を追ってみたりする。センチメンタルに浸っている場合でもないが、中学生の頃、歌詞を真似て書いたラブレターの相手を思い出してみたりする。

冬来たりならば、春遠からじ。
本格化するカブールの冬。来春に向けた種播きに向けて、自分を耕す季節にしたい。

Sunday, September 30

ダブルリングノート

涼しさを超えて寒さを感じる朝晩。庭先のバラはまだ開かない蕾をたずさえ花を咲かせている。

久しぶりに自爆テロがあって、なんかいま音したよなぁ、気のせいだよなぁ、誰かのドアを乱暴に開けた音じゃないか、スルーしようかな、めんどいなぁと頭の中で逡巡しつつも、考えるより先に身体が勝手に動いて無線機持って屋上に登る。北北西の方向にモクモクとあがる煙を発見して、情報共有する。

休み明けからちょうど1週間目の朝はこんな感じだった。

9月が終わる。

5月から3ヶ月の間に目一杯仕事を続けて、最後は消化不良も起こしつつ休暇に飛び出たのであったが、自分にしか出来ないと思っていた仕事は、不在の間、同僚がしっかりフォローしてくれたりする。

組織の仕事というのは、そういうものだ。

休暇明けの今は入れ替わりに休暇に入った同僚2人分のフォローでてんてこ舞いだったりするも、妙に気力体力充実してやる気満々だったりするから、担当の専門家に「あんまり飛ばさないでね」と心配されたりする。


夏休み休暇の2週間、デリーとアグラ、東京、浜松に房総半島に行ってきた。
残りの任期を見据えての準備もあったので、いろいろな人にも会ってきた。

おっかなびっくりの小心者の旅はかなり慎重で、振り返ってみれば大した冒険もせずに、日頃培った安全サイドの旅。もう少しチャレンジするのもいいかと思ったが、周りから聞いていた評判があまりにネガティブだったので、性格上、これ以上の無理はできなかった。

ノート一杯に書きなぐるネタもなく、特に物思いに耽るネタもなくて、いつものごとく無駄に歩き回るも、無駄に広い計画都市のスケールについていけず、ただひたすらに汗をかきつつ名所巡りをしていた。

タージマハルは一人ツアーを組んだものの、無駄に頑張る必要がなかった分、余裕に観光できたが、他方でちょっと寂しかった気もする。あの無駄に人と交わる労力を惜しんでは、一人旅の楽しさは半減してしまうと、分かった気もする。時間の限られた中では、効率的なのも一つの要素ではあるんだけど。

そろそろ一人旅も飽きたなぁと思いつつ、旅先で出会う関係も楽しいし、久しぶりに日本であった友だちとの時間もすごく楽しい。一人で過ごす時間より、誰かと過ごす時間の方がずっと有意義だという思いが最近は強い。人付き合いが苦手ではあるのだけれど、人と交わるって本当に面白いなと思う。

自分の強さも弱さもすべてひっくるめて、正面から物事にぶつかっていきたい。人との交わりを積み重ねていく生き方のなかで、いろんな世界を見て、自分の言葉で表現して、自分の限界を知って、心が震えるような交わりをして、人に影響を与えられるような自分でありたいと思う。

インドのあふれんばかりの生きるエネルギーというか人間臭さみたいなものに対面して、なんとなくそんなことを感じた休暇明け。時に上半期末。

Saturday, July 7

ふだんの3倍

万歩計を購入して以来、よ~やく達成した、1万歩♪
くだらないとは思いつつ、あまりの嬉しさにアップしてしまった。

この頃毎週末のイベントとなったフットサルで達成したはいいが、試合中に足を攣る羽目に。
これまで平均3.5千歩/日。無理は禁物。若くはない。これが現段階の筋力の限界値。

標高1,800mのカブールでの高地トレーニング成果どころか、日頃の運動不足は確実に筋力を低下させているようだ。フルマラソン復帰への道は遥か遠くなりにけり・・・。

未だにピクピクするふくらはぎをさすりながら、懐かしい痛みにちょっと快感を覚えつつ、でもやっぱり一万歩を達成して笑みがこぼれてくる週末だったりして・・・。

Cafe Godot

歳の割に落ち着いて見えると言われることがある。
2年前は32歳既婚、子ども2人というイメージで言われたが、最近は34歳既婚と言われる。先日の出張先でのアフガン人にも似たようなイメージで言われた。
毎年着実に歳を食っているものの、歳相応にはまだまだ届かないらしい。

29歳になった。

先々月、帰国して再開した同級生とは初めて知り会った日から14年ぶりだった。
29歳の自分にとって、14年の差は人生の半分に相当するという事実に、いささか面食らった。
ただはじめの14年間の記憶と言うのは、ほとんど無自覚に経験した時間であり、次の14年間は自覚的に自分自身と向き合いながら生きてきた時間であり、笑いながら泣きながら悩みながら流されながら、今の自分を感じつつ、毎年去年よりもどれほど前に進めたのだろうかと、自問する。
振りかえってみるに、20代はじめの5年間とその後の5年間は、均一の時間量であっても、はじめの5年間はゆっくりと、その後の5年間はあっという間に過ぎていった。
時にいま制約の大きい生活環境に身を置いている中で、日々、普通のことを淡々と反復する生活を送っているという意識は一層強いのだけれど、そういった毎日の小さな行為の積み重ねが、いまの自分を成立させている。けれども1年という時間の感覚は、歳を追うごとに小さな差異となりつつある。
そんな小さな差異のなかで、どれほど自分は成長できているのか。

今の自分は、息せき切って現在を駆り、未来に向けて前傾姿勢をとっているように見えて、実は未来を視野に入れていない。不確かな未来というものの訪れを待ち受けるということをせず、いったん決めたものの枠内で一刻も早くその決着を見ようとする。待っているのは未来ではない、ちょっと前に決めたことの自分が想定した結末。待つということに不寛容な自分がいる。

意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがう、時が満ちる、機が熟すのを待つ。待ち遠しくて、待ちかまえ、待ち伏せて、待ちあぐねて、とうとう待ちぼうけ、待ちこがれ、待ちわびて、待ちかね、待ちきれなくて、待ちくたびれ、待ち明かして、ついに待ちぼうけ。待てど暮らせど、待ちびと来たらず・・・・。待つことが待つことである保証がないまま、あてどもなく、ただひたすら待つ。(待つということ/鷲田清一)

仕事や休暇や旅行といった、向かった先々で他者の時間と交差し、そこに無数の小さな波紋が生まれ、時に大きなうねりを形成する。日々の無数の波紋が、共鳴し、新たな接点を生み、岸では、それが寄せては返す波のように、自分を揺さぶってくる。また、ともに同じ出会えたことを喜び、酒を飲み、同じ時を生きていた人たちの、異なった経験を聞くことがとても楽しい。その波紋に応えるともなく応え、やり過ごすなかで、ふと気づけば時が流れ、また一つ経験と言う層を重ねていく。この一年、またいい出会いがあった。

去年定めた目標は、なんとなく過去の積み重ねもうまく作用した部分もあって曲がりなりにも進んできたけれど、残りは更なる努力と時に待つことの寛容さが必要。期待するけど、期待しない。
気まぐれな結果ではなく、自分の行為の積み重ねの先に、30代のスタートが用意されているように。
the Best is always yet to be!

Wednesday, May 23

「こい(5)ぶ(2)み(3)」の日

お気ままな休暇も残り1/4。えぇ、まだ残り1週間ありますよ。

GW中には小金井公園の江戸東京たてもの博物館、六本木ミッドタウン、新国立美術館(外見だけ)、新丸ビル、葛西臨海公園水族館、銀座、築地市場を制覇。
カブールの余韻も吹き飛ばすかのように、あっという間に都会の喧騒と人混みの中に引き戻された。

GW明けは、健康診断と本部挨拶を経て、実家に引きこもり。
14日には名古屋、15日から21日までは屋久島と鹿児島、博多に行ってきた。
今週はまた実家でぷらぷら、運転免許の更新をしたり、自転車で散策したり、本屋巡りしたり。
ときどきすれ違うご近所さんのニート扱いのような視線が痛々しいが。
むしろ両親が毎朝7時半に出勤していること自体に驚愕する。親の働きぶりには敵わない。
一人だったら午前中も爆睡のところ、親の手前、朝から起きて取りあえず何かすることにしている。

とってものんびり休日を過ごしている。
無駄に外に歩き回ってもいるけれど、やっぱり平和っていいなぁ、かみ締めるような気持ちで足を運ぶ。
新緑がまぶしい。自転車で切る風が心地良い。

帰ってきて手紙やメールをいくつか書いた。
そのうち、一人と12年ぶりに再会した。
明日からしばらく入院するという。

これから帰郷するたびに顔を見に会いに行くことを約束した。
次に帰ってくるまでに、少しでも良くなっていて欲しい。
できれば退院していて元気であって欲しい。

久しぶりに逢って、ほとんどその人のことを知らなかったのだと、
もう恥ずかしいくらい、勘違いしていた。

かれこれ3年以上本をも読めなくなったという。
「きっとこれまで本を読みすぎんたんだ」と言うと
その人は笑っていた。

15年前、斜め後ろの席でちょうど同じ本を読んでいたその人と始まった関係は、
もうそんなことを忘れてしまっていたけれど、
今度はあんまり緊張しないで、またゆっくり話ができたらなぁと思う。

Wednesday, April 25

Health Check Up

昨月赴任してきた上司が言うには、
東京での万歩計→20,000歩/日
カブールでの万歩計→4,000歩/日
という平均だそうな。

そりゃ太るよなぁと、腰に手を当てた自分の体の感触に、一年分の重みが・・・。
春になってから毎週末フットサルに参加しているから、そこそこカロリー消費しているはずなんだけど。あ、でも、そういや、この間ズボンのボタンが飛んでたなぁ、はっはっはー。
5月には一年ぶりの健康診断が・・・・。
海外赴任すると大抵どこかしらおかしくなるといわれるが、体調もチューニングし始めるべきか・・・・・。

春は健康診断の季節ということで、食事時はTARZAN雑誌ネタと健康ネタがヘビーローテションです。
朝6時から宿舎のランニングマシーンが順番待ち・・・・って、そこまでくるか。

宿舎内の万歩計流行率 5人中3人

事務所のナショナルスタッフは、健康診断にイランに行くと言う奴がいる。
小生意気なぁ~と思いつつ、どんな健康診断を受けるのだろうと興味深いところではある。

Saturday, April 14

高く蒼い空を

週末、すっかり定番となったフットサルに参加する。
あいかわらず休みの日の寝起きは悪いので、いつもどおり遅刻してしまう。

12時過ぎに目が覚める。南向きの今の部屋は、陽が当たると暑くて寝ていられない。
日中の気温は32度。先月末までは10度を超えることはなかったのに、なんだろうこの気候。
気温の上昇とともに、街路や庭園の緑がいっせいに芽吹き始め、日に日に濃くなっている。
公園には、多くの人が繰り出て思い思いに過ごしている。子どもたちは遊具やサッカーに興じている。
木々には冬にはどこに行っていたのか、街に戻ってきた鳥たちがさえずっている。


1800mを超える標高に位置するカブール。
相変わらず息が続かなくて、15分ハーフのフットサルを4ゲームもこなすとさすがにしんどい。

思わず地面に寝そべって見上げる空は、どこまでも青く、遥かに高く、果てしなく、いま自分がどこにいるか忘れてしまいそうになる。

「生きることは苦しい。ほんの一瞬でも立ちどまり、自らの思考を怠惰の中へおしやれば、たちまちあらゆる混沌がどっと押しよせてくる。思考を停止させぬこと。つねに自己の矛盾を論理化しながら進まねばならない。私のあらゆる感覚、感性、情念が一瞬の停止休憩をのぞめば、それは退歩になる。」 (高野悦子)

仕事関係も友人関係も自分自身も何をしたいのか、時々分からなくなって、混沌としていて、ともするとまた部屋に篭りたくなってくる。でも暑くて部屋に居られない・・・・。
何かと新しい春。
思うように右から左に片付かないことが多いけれど、過密な日程も楽しんでこなすくらいの気概で、腹をくくってかかるしかない。待ちわびた長期休暇まであと2週間。

Wednesday, April 4

Radio in Kabul

その昔、FENを聞いて英語を勉強したクチではないが(むしろ挫折したほう。)、
その昔、NHKの青春アドベンチャー・FMシアターをよく聞いていたこともあり(妄想派)、
その昔、NHKの英会話入門で、ノックノックジョークのネタを紹介されたこともあり(気まぐれ系)、
その昔、JET Streamは好きだったし(飛行機の離陸音が好きだった)、
その昔、部屋の照明を消し、枕元にラジカセをセットし、一気にドリーミン(暗いところが好き)
と、いうことでラジオがとても好きである。

今日、ふいにクロスオーバーイレブンという番組を思い出した。
FMシアターが終わって、NHKニュースが終わって始まるあの番組。
音楽とストーリーとまた音楽と。
ネットで調べてみたら、CDになっていた。

なぜ急に思い出しかというと、同僚の携帯着信音がオープニングの曲に似ていることに気付いたから。

カブールでもいろんなラジオ放送が拾えるが、ほとんど現地語で理解不能。
さすがに想像力も及ばない・・・・。
唯一理解可能な言語として聞き取れるのが、BBC RadioとAmerican Force Network。
12月25日は、ラジオだけはクリスマスソングを流し続けて、なかなかムーディだったっけ。

最近はインターネットラジオの「J-wave Brandnew J」を聞くのが楽しみになっている。
サイトの背景に東京の風景が使われており、時間によって切り替わるのもなかなか良い演出である。

じわ~っと心に染み入るようなDJの声。自分の感性がみずみずしくなるような錯覚を覚える。
その昔、目を閉じた暗闇の中で思い描いていた遠い世界のフィールド。

もう少し爽やかなイメージの海外を夢見ていた気がするが、まぁ現実はこんなものかな。

メモ:4/3朝方バダクシャンで地震あり。カブールにおける体感震度2。

Thursday, December 21

Make it Different

夜更け過ぎの雨はやがて雪に変わり、昨晩からこの冬2度目の積雪。朝には止んで、夕方までには半分くらい溶けてしまった。
通りは相変わらず泥だらけである。もう少し乾くと今度はホコリだらけになる。

事務所のパートナースタッフが言うには、カブールで雪が降るようになったのは、タリバンが支配するようになった頃からだという。ホントかよ、と半ば冗談で流したけれど。
ウズベキスタンの雪はどうなんだ、と併せて聞かれたが、そんなの分かりません・・・。
今日は早めに仕事を切り上げ、夕食を済ませ、DVD「Little Buddha」を観賞。
以前にどこかで観たことがあったなぁと思い出したが、いつだったのか覚えていない。
何となく背中がもぞもぞする感じ。
思い出せないもどかしさか、単なる運動不足か、それとも今日の予防接種のせいか?
舞台となっているシアトル、ブータンへの渡航経験や、最近ちょっとかぶれている南西アジア文化を背景に、映像の隅々に無駄な考察をしていた。

シッダールタ王子(ブッダ)が瞑想を続けた末に見い出した境地、そこで取った行動に共に修行に励んでいた者たちが失望して去っていくシーンがある。そこで彼が言う。

"Learning is to Change"

その一言が頭に焼き付いた。なるほど、自分にとってなかなか示唆のある言葉だ。
全体として、色使いがとても鮮やかな映像だった。
赤が基調となって、アジア的な暖かさを醸し出している。

今週、カブール市内でミカンが手に入ることが判明。
見た目も味も三ケ日ミカンの似ていて、無骨な感じで種もあるが、味は酸っぱめだ。
宿舎ではNHK Worldが見られるコタツ部屋が用意されたので、年越しの準備は早くもバッチリである。

ふと振り返って、赴任前の東京での一人暮らしよりもよっぽど日本的で規則正しい生活をしていることに、妙な感慨を覚える。ストレスを軽減するための環境整備は大事だなぁと、この間の帰国時に調達した枕のおかげでぐっすり眠れるようになったことだし。
Make it Different = 留学中、ボランティアに参加した際に教えてもらった言葉。

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