Sunday, June 13

ハイチ雑感 - 光の当たるところ

日本のメディアが取材をしたいと本部経由で連絡があった。震災後5ヶ月経ったハイチの現状を報道するため、電話インタビューをしたいとのこと。あと7時間後。あわてて応答要領を用意する。でも録音方式らしい。生放送じゃなくてホッとした。取材は現地7時からだった。電話の向こうでカメラを回しているようだ。

実はインタビューは本部からの指名もあったので、ミッションリーダーに仁義を切り忘れていた。インタビューが始まる明朝までに一報入れておこうと思ってメールしておいたら、朝5時に電話で対処方針の連絡があった。事前に連絡しておいて良かった。。

改めて現地の状況を、と問われてみれば、短い間ながらもこれまでの観察が限られた一面でしかなかったことに喋りながら気づく。ポルトープランス市内状況について質問が多かったが、プロジェクトは揺れの大きかったレオガン(ポルトープランスから西に約20km)での活動が中心で、往復に4時間もかかるから、よく知らないことが多かった。例えば崩れた大統領府の現状とか、テント村での配給状況など。見ていないものを嘯いてもしょうがないから、「まだ見れてないんですよね。」と答えてしまったが、こういう場合は、「地方での活動に忙しく、市内まで手が回っていない」と言うのが正しいらしい。

個人的には、今回のハイチの現状をかなり前向きに捉えており、思ったより落ち着いている。治安にしても生活状況についても、街の様子についても。

インタビューの内容は、引き続き厳しい状況にあるハイチの現状を紹介したい向きの質問が多かったが、そのような報道のニーズに合致しなかったのだろう。20分のインタビューがあったが、結局、一言も紹介がなかったようだ。自衛隊PKOや日赤の活動に比べると、政府系の援助のアプローチはイメージがしづらく、なかなか短く伝えづらい。報道する側に慮って悲観的に説明する気にもなれないし、現地はそれほど一面的ではなくて、多様な市民生活が展開している。

テント村の生活や配給の状況について言えば、以前は援助物資を取り合うような映像があって、暴動のような状況を軍が鎮圧している様子を見ていた。

アメリカが大規模に軍を展開して、治安を押さえ込んでいる様子をイメージしていたが、市内を武器をもってパトロールする様子はほとんど遭遇しなかった。UN(国連)の治安維持部隊の軽装甲車が、市内を移動する様子をたまに見たが、銃口を向けながら市内をパトロールしているような状況でもない。とある国際援助機関に言わせれば、逆にそういった治安維持部隊の存在が、ハイチ住民に何事が起きたのかと、不安な気持ちを抱かせているらしい。今更の観点で見れば、国際社会の過剰な反応だったのかも知れないし、アメリカの部隊展開による初期対応が良かったから、現在の安定が確保されているとも言える。

そんなアメリカ軍も、この5月で撤収した。すなわち上述のような暴動は起こらなくなったということだ。現在のPKO部隊は、23ヶ国から派遣されており、もっぱら治安維持(警察的な役割)を担っている。ちなみにバングラデシュからは、女性警官が100名派遣されたという。子供や女性に対する暴力への対応を狙っているのだろうか。いずれにせよ武力で解決できるのは一時的な事態で、長期的な解決に軍の存在は、心の平穏を呼ばないことは、この地も例外なく命題であるようだ。

テント村には、共同トイレや共同水栓が設置されており、数が足りているのか順番待ちする様子は見られなかった。ハンドポンプの井戸で子供たちが水浴びをしている。その脇で女性が洗濯をしている。共同で管理している機材(一輪車やスコップ、バケツなど)は広場に整然と並べられており、キャンプ村の入り口ではホウキで掃除をする女性の姿も見られた。別のテント村では、配給のトラックが到着して、住人が協力して物資を降ろすところを見る機会があった。荷が届くなり取り合いをする、と言う様子はない。国際赤十字連盟や国際NGO等がキャンプ村に入って運営管理を支援していることもあるだろうけれど、それでもこういった規律あるテント村状況は、「文化人類学的にコミュニティの概念が育っていなくて自分勝手な国民性」をイメージしていた自分には意外な発見で、何か明るいもの感じた。真に困ったとき、きちんと手を取り合って共助の精神が働くということ。人間としての尊厳をきちんと大切にしている様子が垣間みられる。

テント村の出入り口には、食べ物や日用品を売る屋台が広がっており、被災民を相手にたくましく商売が進んでいるところを見ると、生計活動の回復ぶりと、被災者と被害を免れた人のギャップみたいなものを感じる。雨期に備えてか、テントは2重3重に防水シートが巻かれており、トタンやベニヤ板で補強しているものも多く見受けられた。とはいえ、夕立のような豪雨には耐えられても、ハリケーンのような暴風雨には無理だろう。他方で、全員が避難できるような大規模な公共施設もない。

ようやく緊急フェーズを抜けて、復興フェーズに入ろうとしている。とりあえずの生活が落ち着いて、後片付けを始めた市民。大型重機の手が回らない個人住宅やアパート、ビルは手作業(ハンマーと一輪車)で解体が進められている。瓦礫から鉄筋を回収して、再利用しようとしている様子も見られた。去る4月からは学校が再開して、子供たちの通学する様子が伺える。制服とおそろいの髪飾りをつけた女の子や、父親や母親と手をつないで通学する小さな子の表情も明るい。路上でお土産や絵画を売る様子もある。外国人相手の商売も止まっていない。路上で果物を売りながら世間話に夢中の人たち、溶接作業に忙しいゲート(門)の修理店の若い兄ちゃんたち。そういえばこの国に来てから物乞いをほとんど見ていない。震災後であっても、路上で物乞いをする姿は見られない。血気盛んで強欲なハイチ人のイメージはどこにも無かった。市内の教会からは賛美歌が聞こえてきた。カリブ海の国らしく大音量の司教の声と音楽が響いている。未曾有の災害が、相互扶助の精神を呼び覚ますのか、鎮魂と復活への祈りが街にこだまする。

新しい住居の確保・再建にはまだまだ時間がかかる一方で、ハリケーンへの備えが不十分なまま。ハイチ国民は冷静に現状に耐えて、復興への道のりを歩んでいる。どこからかハンマーの音が聞こえる。意外と物も豊かで賑やかにみえる市民生活ながら、その一方で、喪失感、不安、鬱積した不満も感じなくもない。われわれ援助機関に託された使命は大きい。そんな思いが、どこまで伝えられたか。

PS. ちなみにインタビューを受けたFNNでは、ハイチ復興のための募金活動中だった。

1 comment:

Anonymous said...

ハイチにいるの~??
東京に居る時は、ゴハンでも行きましょ☆

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