Sunday, May 9

若葉のころ - 天城の記憶



ゴールデンウィークになると、実家が引っ越して間もない頃、自宅から桶ヶ谷沼まで父と妹で往復したことを思い出す。途中、見附の天神様をお参りし、沼では地元にしかいないベッコウトンボを見た。帰り道、路線バスに乗る乗らないではぐらからされながら、ツツジ公園により、どこかの古墳遺跡を発見し、かぶと塚公園では遊ぶ余力も無かったが、用水路沿いに南下して、結局、自宅まで歩いて帰った。

どれだけ歩いたかは覚えていないが、とにかく遠い道のりだった。まだ父が30代の頃である。

-----


今年還暦を迎える父に、どこか行きたいかと尋ねたところ、伊豆・天城への旅行を提案してきた。

天城峠を登ったところに僕の名を付けたくなった木(樹)があり、その先に妹の名を付けたくなった香り(薫)のいい木があり、その先で母に出会ったという。その先に、朝陽(暁)が美しいと想像した見晴らしの良い場所があり、弟の名もそこからきたと言う。

弟の話まで聞いて、そこまでは冗談だろうと思ったが、なるほど、天城峠から連想したとすれば、歳が離れて生まれた弟とはいえ、それは意味も血もつながっている。

その当時、バスに忘れたうっかりものの母の荷物を取りに戻ったという父。浪人・留年生とは付き合うつもりがなかったという母。未だに二人はよく喧嘩するようだが、さて、なんと表現したら良いものか。昔は何度も一緒に登ったという。

ん十年ぶりの久しぶりの登山だと言うので、すっかり油断していた。が、当日計画を開けてみれば、天城峠入り口から万二郎岳を越えてゴルフ場まで抜ける、コースタイム8時間の伊豆山稜線縦走コース。・・・・よくデートと言っては歩き周り続けて相方を泣かせたこともあったが、血は争えない。。

父は登山靴を履いてきたが、弟は底の薄いスニーカーだった。加えて3人ともジーンズ。途中すれ違うの登山者と見比べても、あまりに軽装備。コンビニで食料を買い込み、八丁池で母と合流して4人で登る。

その昔、両親がお世話になったという人が銅像になっていて、登山口の脇に立っていた。
山は少し痩せていて、木がひっくり返っているのが散見された。手を入れすぎているように思う。

-----


で、その樹はまだ立っていて、根を大きく張り巡らせていた。なんでまたこの木が父の心に留まったのだろうとは思ったが、まだ立っていた。それだけで十分だった。

家族での旅行は実に4年ぶりだった。身重の妹夫婦とは降り口で合流し、最後はみんなでゴールした。なんという大団円。

スニーカーでだった自分の靴には、穴が開いていた。
翌朝、母はイチゴ狩りにでかけ、父も仕事に出たと言う。
父はひざの痛みを隠していたらしいが、らしいと言えばらしい。
まだまだ若いなぁと思った。


いつか自分の子どもを連れて、ここを訪れる日がくるのだろう。たぶん、間違いなく。
今年もツツジが綺麗に咲いている。


写真 上: 登山口入り口(天城トンネル入り口バス停付近)
写真 下: 八丁池にて


2 comments:

あきひこ said...

おいおい、エライ大事な話しが抜けていますよ。

そんなかわいい弟に、兄上様のお荷物、食料を全て持たせ、
肩が痛いと言うという、悲痛の叫びをも無視して、
自分は、カメラのみ片手に登山したって言わねば。

Bird said...

自分でかわいいって言っちゃうところが、また弟らしくていいなぁ。

優しい弟に持ってもらったおかげで、母の荷物は私が持っていったでしょうが・・・。

まぁそのカメラも君のかばんのなかでしたが。助かりました。ありがとさん。

Archive