Sunday, March 1

結婚式

S家の長男、Sと申します。
本日、妹よりこのような依頼を受けましたので、当人の略歴のご紹介をさせて頂きます。

S Kは、 19xx年3月xx日、 S家の長女としてA県に産まれ、幼少から高校まではJリーグ・サッカーチームのジュビロ磐田の本拠地がある場所として有名な、静岡県磐田郡で育ちました。

199x年、静岡県立○○高等学校普通科を卒業、
200x年、○○大学 基礎工学部 電子基礎工学科 を卒業しました。

大学卒業以来、一貫して、K県E市にある「F株式会社」に勤務しています。同社は皆さんが普段よりお使いになられるであろうC機で大変有名な会社です。現在は同社のS開発部にてF機のソフトウェアの開発に携わっています。

Kは、幼いころから身体が小さく弱かったこともあり、病気になったり、またすぐに泣くことで、父や母をよく困らせていました。
いつから泣かなくなったんでしょうね。

身体が小さい割に負けん気は強く、普段より兄弟げんかは絶えず、弟のAが5歳の時に産まれてからは兄・弟の両面に好戦的で、なかなかの扱いづらい妹の地位に納まっていました。
母は、今になっても相変わらず子ども3人の名前を言い間違えます。3人ともどもに手間がかかった子どもだったからでしょう。
そう言えば、いつから兄弟ゲンカしなくなったんでしょうね。

年子の妹がいると言うと、大抵のワタクシの友人の表情が変わり、不思議な質問をしてくるものですが、実際1.5年も離れており、普段はいつも後ろについてくるような、また学校では忘れ物をチョクチョク借りに来るような感じでしたので、良くも悪くも中学校までは一緒に育ってきたように思います。

高校生の頃まで続いた反抗期は、このまま一生涯続くのではないかと両親を心配させましたが、豊かな大学生活と恵まれた社会人生活のおかげと、また本人を支えていただいた多くの方のご支援があってのことでしょう、気付けば、ずいぶんと性格的に落ち着いて、家族に他所の人に優しい大人の女性になっていました。最近は、ずいぶんと気遣いもできて、誰からも親しまれ頼られる存在です。

そう言えばいつから口うるさかった母もあなたに寛容的になったんでしょうね。

Kは、頑張り屋さんです。
背が低いのもモノともせず、ミニバスケやテニス、バトミントンと言った運動系の部活動に参加し、ずいぶん熱心に取り組んでいました。
高校受験時には、周りがほとんど可能性ゼロで無理だと説得したにも関わらず、強気一点張りで第一志望校を強気で受験し、見事合格しました。 今日はそんな高校時代の友人も駆けつけてくれているようです。
大学受験時には、当時の一連のドタバタ劇は、もはやS家の伝説ですが、もう浪人かと諦めかけた最後最後のタイミング、誕生日祝いもそこそこに3月末につかみとった合格切符は、遠く離れた山口県の大学。2階の部屋にいた妹が思わず叫び声あげたのですが、こちらは、本人がついに発狂したかと思いました。まして、物理の授業も受けたことがないのに、電子基礎工学科に進むという、ずいんぶと無理をしたものだなと思います。

大学においては、40人数名の同級生のうち2-3人しか女性がいないという環境の中で、様々な誘惑や制約に負けることなく努力し、台風の被災にもめげず、優れた成績で大学を卒業。当時、就職氷河期の末期で、まだ新卒雇用の情勢も芳しくなかった時代、リクルートスーツを着て全国を駆け回り、大学で学んだことの延長上でキャリアをつかんだことは、父や母にとって、わがままな子どもから一人前の大人としてのターニングポイントだったと思います。大学紹介パンフレットにKさんが大学を代表する卒業生として幾度も掲載されたことは、当人にも大変な成果ある出来事だったでしょう。

脱線ついでに述べれば、S家で一番運が強いのもKであり、宝くじやイベントの抽選を当てたことがあったことも考えると、高校も大学も会社も、本人のド根性的な努力に思わず気を許した神の思し召しもあったに違いないと信じています。

社会人になって以来、両親のいないところで2人で繰り返し話題にしたのは、将来の結婚や家族像のことでした。妹の語る将来像は常に同じ、「父と母が築いたような家庭を自分も築きたい」と。フルタイムの共働きで子ども3人を育てあげてきた強き母と、寡黙ながらしっかりと家族を支えてきた父を、常に尊敬し、Kは、叶うならば自分も母のようになりたいと言っていたのです。

ちょうど6ヶ月前、都内のレストランでKから新郎のKくんを紹介されたとき、赤のネクタイをきちっと絞めて現れた好青年的な印象は、改めて、Kのある意味での粘り強さと素敵な旦那さんを見つける運命の強さを感じた次第です。

今日のこのような素晴らしい旅立ちの日にあたって、この場をお借りして非常に個人的なことばかり述べて大変恐縮であり、また当人のKさん自身も少し苦笑いかもしれませんが、兄に依頼してきた以上、これくらいのことは覚悟の上ではありましょう。

努力だけ運命だけではなかなか解決できない、複雑で困難な時代であるからこそ、ともに手を取り合い、物質の豊かさのみによらない、豊かな精神で幸せな家庭を築いていくことを願ってやみません。

なかなか人の言う事を聞かないところありますが、優しい旦那さんにいつまでも甘えられるよう、母やいろんな人の支えを素直に受け取りながら、素敵な奥さんになってください。

K君、どうぞ妹をよろしく頼みますね。

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