後任の着任、業務引継ぎ、片付け、引越しに、次のステップの準備とドタバタしていた。
と言うわけで、8月16日に帰国しました。
悪化する治安情勢を受けて、8月から安全対策を強化することもあり、こんな状況でカブールを離れなければならないことが非常に心残りであった。
インフラセクターと保健セクターの事業プログラム担当を1年8ヶ月、安全対策の担当を10ヶ月、計28ヶ月、無事に過ごせたことに感謝し、お世話になった方々、支えてくれた方々に感謝一杯である。
ありがとうございました。
離任以降も治安情勢は不安定な様相を続けており、市内へのロケット弾着弾や邦人殺害事件が相次いで起きた。8月は独立記念日とカブールの治安管轄権の多国籍軍からアフガン当局への移管があり、9月はイスラム暦で神聖な時期であるラマダン(断食月)に入る。その間には、マスード殉職記念日である9.9やアメリカ同時多発テロの起きた9.11が控えている。注意すべきタイミングが続く。
殺害された邦人は、自分が卒業した高校と同じ街で隣接しており、通学路にあった。年齢も一つ違いなので、いろいろな思いが頭の中を巡る。
実家のある町は温暖で、のんびりとしているせいか、国際貢献については関心の低い町だと思っていて、世界に国際協力に出ている彼のような人材がすぐ近くにいるとは正直驚いた。最前線の現場で命を張っているという表現はきっと本人には適切ではなく、最前線で平和構築のための礎を築いていたというべきであるが、彼のご冥福をただただ祈るばかりである。
この事件をめぐって、日本のマスコミは概ね、ロジカルで感情論に流されていない。
伊藤君の貢献を称え、名誉を保っている。無謀な冒険をしたのではなく、着実な実績を重ねる彼の仕事が、こういう評価になっている。ペシャワール会のアフガンでの実績は大変評価の高いものであるから。マスコミもよくその辺りを理解していると感じた。
話は変わって、NGOスタッフが犠牲になってなお、自衛隊が派遣できない平和構築支援というのは不条理だとは思う。もちろん今さらの自衛隊の派遣には反対に変わりはない。アメリカやフランス、ドイツ、カナダは、自国NGOスタッフが犠牲になってもなお、軍を駐留させ続けている。軍の損失も日に日に膨らんでいるのにもかかわらず。
紛争や混乱が続く以上、どうしてもこういうことは起きる。
なぜ危険を冒してまでそんなところに行くのか?という質問は愚問だと思う。
人は求められるところには、自ら進みたくなるものだから。
日本は日本政府、国民も含めて、犠牲を出すことにすごく敏感(ナイーブ)である。戦敗国である宿命だろう。そしてこういうことを理解する術も方法も持ち合わせていない。
慣れろとも思わない、鈍感になってもいけない。
他方で、戦争やテロは、不条理であり、理屈ではない。
敵に理性を求めたって、事件を論理的に理解しようとしたって無駄である。
自爆テロは捨て身だ。いや、捨て身だから自爆テロなのだ。
帰国したものの、いろんな事後処理がまとまらなくて、落ち着かない。
無駄に夜の街を歩く日が続いている。
1 comment:
ニュースが流れたとき、まさか!って心配したよ。
帰ってきたんだねぇ、
ちょっと遠いけど、また三岳タイムやろうぜ。
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