先週土曜日から4日間続いた雪とみぞれがようやく収まり久しぶりに空が晴れ上がって少し風のあったその朝、事務所のナショナルスタッフが急逝した。
28歳の若さだった。
タリバン時代に医科大学に通い、新政権樹立後、学業を続ける傍らアルバイトとして事務所に勤め始め、その後卒業して正職員になった。
総務班で経理やアフガン人スタッフの取りまとめ役を担い、一昨年の宿舎移転や昨年の事務所の引越しなどを取り仕切ったのは彼だった。
ご家族の弟妹はまだ若くて、お父さんは病気で体調がすぐれないなか、彼は一家の大黒柱だったと聞いた。忙しい業務の合間にも、海外の通信教育でeMBAを取得するなど、向学心にあふれていた。20代始めで結婚することの多いこの地域で、彼はまだ独身だったが色んな意味で魅力ある青年だった。他のスタッフが良い給料と待遇を求めて転職して去っていく中で、うちの事務所に残りながら頭角を現し、残業もいとわず、難しい仕事にも積極的に取り組んでいた。アフガンの慣習が分からない日本人の代わりに文化的背景や社会背景をうまく通訳してくれていた。年末には日本人スタッフ一人一人にグリーティングカードを書いてプレゼントしてくれた。心の優しい青年だった。
彼は業務で日本を訪れたことがある。その時の様子が記事になった社内報をえらく気に入って、今も自分の席の後ろに掲示していた。パキスタンやタイへの出張もこなし、翌週にはドバイ出張を控えていた。仕事ができて信頼のおけるスタッフだった。
イスラムでは人が亡くなると24時間以内に全てが執り行われる。
あまりに急で、あっけなくて、この国のしきたりを調べている余裕も無く、ただ時間だけがあっという間に過ぎていって、亡くなったその日の午後には埋葬された。
墓標も満足に立っていない墓地に用意されていた彼の場所は、荒涼としていて周りにはまだ雪が残っていて、ただ掘っただけのそこは、簡素で冷たかった。あまりに切なくて涙が止まらなかった。
人はこんなにもあっけなく去ってしまうものなのか。定めとはこんなものなのだろうか。
葬儀が終ったあと、戻った総務班の空気は重かった。
彼の机の上はまだ、仕掛りの仕事が残されたままで、明日また元気に出社してくるような感じがした。
実感の湧かない喪失感はこれからじわじわと響いてくるだろう。
もっと彼と一緒に仕事をしたかった。もっと色んなことを共にできたと、今さらながらに思う。
残されてしまったスタッフを励ましつつ、いつまでも後悔することの無いよう、新しい体制作りに励んでいきたいと思う。
彼と過ごせた時間に感謝し、安らかなご冥福を祈って。
Saturday, January 12
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2 comments:
優秀でそして心優しい方だったんだね。本当に残念だね。。。うちの所長もすごく残念そうでした。
ここで記事の更新が途切れていると外からみたら心配しないかな?
ところで、さかのぼって全部読みましたよ。ブログ。仕事とか時事関連の難しくて長いところは後で読もうとスキップしましたが、、。
旅行あり、生活あり、若者らしい心の記録もあり、(オバサンくさいかな?)読み応えがありました。
もっと頻繁に書いてください。
楽しみにしています。
公開写真の追加も!。
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