Friday, March 30

きょようはんい

毎度おなじみ天気の話題から。(イギリス人もこんなにネタにはしないだろう・・・と思いつつ。)
ここ数日、大荒れの空模様。 ヒョウにカミナリ、大雨、暴風。
春の嵐と言ったところ。風は生温かい。

都市排水機能が麻痺しており、そもそも生活排水は自然浸透方式となっていて、要は下水システムは無く、道路側溝も末端流路につながれることなくドン詰まっている。
カブールの土壌は粘土質のために、雨が降るとヌカルミ・泥んこ状態である。

日本でおなじみの花粉症には悩まされることはないものの、乾いた空気で咽喉を痛め、そのまま風邪になる人も多い。 季節の変わり目、体調管理は大切に。

さて、某新聞のネットサイトで関心をもったコメントが一つ。
「ルールが合わないとあきらめる時代から、ルールをつくろうとする時代に変わったようだ。」

国際結婚の増加を事例として、「相手が自分のことをわかってくれない」ということについて、違いがあって当たり前という国際結婚では、それが普通の日本人同士より受け入れられやすい、ということを説明している。

同僚がドイツ人と結婚した際には、婚姻届を出す際に誓約書を交わしたとのことで、相当な労力を要したとのこと。ここまでくると価値観が合う合わないの世界をすでに超えているような気がする。

ルール作りという点において、「他人との距離間」「関わり合いの範囲」とかが思い浮かぶのだけれど、そう考えてみると自分の考えの狭さみたいなのを感じる。窮屈な考えだと。

日々異文化コミュニケーションみたいな世界にいると、血液型特有の几帳面さを自負しつつも、自分の許容範囲についてかなり適当になってきて、他方、許す許せないが意外とはっきりしてくる。
許せない部分が増えてくると、ストレスがたまってしまう。
逆に他人に対する自分の許容範囲みたいなものも計算してしまい、自分自身に甘くなる。情けないんだけど・・・・。

必ずしも価値観が一緒だったから関係が長続きしたというのではなくて、他人と自分は明確に「違う」ってことを自覚したうえで、避けずに話し合うことで色々なことを乗り越えていくことの大事さ。

同僚との会話の中で、長い間離れている友人との関係について話題になった。
この国に赴任する人は単身赴任が基本であり、家族や恋人と離れて暮らす人や、現地で意気投合する人もいる。それでも一時帰国の際など、みんなそれぞれに帰る場所みたいなのがあって、久しぶりに会った家族、親戚、恋人、友人、それがペットであったりモノであったりするときもあるだろうけれど、そういた長い間離れていたものに対する「こそばゆい」というか「違和感」みたいな感覚。

離れている間は、当然それぞれがそれぞれの時間軸で生きているわけだし、それぞれ自分や相手が
そこに居ない世界がある程度できあがっている。
再会するたびに相手の周波数と自分の周波数をチューニングをする・・・と言った感じで、こういった感覚に対して、どのような態度が望ましいのだろう・・・。

個人的には、これが楽しくもあり、時に面倒くさくもあり、遠距離における人間関係の構築の難しさをマジマジと思うところでもアリマス。たいていの場合、待っているほうが楽しく、またいくらでも待ってしまうところですが。

それはさておき、先週、ウズベキスタンへ海外研修に行ってきたナショナルスタッフ(パシュトン人)の報告会があった。報告会に参加したのは全員パシュトン人。事務所スタッフの半分を占めるタジク人スタッフの参加はゼロ。
別件で、今週は事務所内の携帯電話の使用について、通話カードの配布枚数の通知があった。
その結果が、パシュトン人平均が3枚。タジク人平均が4枚。
確たる証拠があるわけでもないが、話を聞いていると、タジク人はパシュトン人に比較して優秀だと言う自負があるらしい。アフガンにおける人口比ではタジク人はパシュトン人に負けている。それが一つのタジク人のコンプレックスだと。

つまんないところで張り合うなぁと思いつつ、こんな小さな事務所でも妙な民族間のライバル意識が垣間見られることに、今現在進行中の公衆衛生省の派閥争いの根の深さを嘆くのである。

ちょっと話題が広くなったが、それぞれの許容範囲、ルール作りについて色々考えるこの頃。
市内では、アーモンドの花に先立って、アンズの花がきれいに咲き誇っている。

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