一人の専門家が約2年半年の任期を終えて帰国した。
離任挨拶を以下に抜粋する。
小職は2004年1月に、当地に赴任して以来、なんの制度も無い中でのサステナビリティーとはなにか?いつまでこういう形での支援を行うのか?支援をもらうのが当たり前と思っている横柄な態度の先方職員の姿勢は正しいのか?70年代初頭に独立したばかりのバングラがその後「援助の実験場」とか「援助で荒らされた」といわれた姿はこれだったのか?・・・・・等等、多くの疑問を抱きつつ行って来ましたが、そんな中で、それぞれの目的に向かってひたすらに突き進む関係者の皆様のお姿を拝見しながら、いつも励まされて参りました。
技術協力(援助)を行う前提として、先方政府の自立発展性とか持続可能性を根拠に、援助を行えるかどうか検討がなされる。たとえば学校の建設の要請があった場合、建てられた学校への教員の配置や運営費の確保がなされるのか、検証が行われたりする。
しかしながら度重なる列強によって干渉し続けられたアフガニスタンでは、社会基盤が脆弱で、省庁と言った政府機能すら、まともではない。国家予算の分配すら、ままならない。何の制度もない。
民族運動の高まりから独立を果たしたバングラと、傀儡政権によって独立を果たしたアフガンとでは全く歴史的背景が異なる。自らの力で復興を果たす力は、バングラには敵わないだろう。
各種のアフガン政府側との対話でも、日本がやっていただけるならどうぞやってください。ついでにあれも加えてもらえないだろうか・・・、といった展開が多い。
今の状況に切羽詰って、長い目でみたこの国の将来像というのが見えていないという印象をうける。
先日のカブール新聞のコラムに、ブレアやブッシュと言った外国の援助に頼ることなく自らの力で国を復活させよう、というメッセージが掲載された。
アフガンには「一滴、一滴が、大河をつくる」という諺がある。
最近、街中を自転車で走る人たちを見かけるようになった。中国から入ってきたようである。
少しずつ街の暮らしにも変化が見える中、自分の果たす役割とはいったい何なのだろうか。
この国の将来はいかなるものなのか、見慣れた街並みを眺めながら、先を思う。
Saturday, July 1
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1 comment:
Cool picture and nice food.
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