Saturday, May 26

BABEL

人からの薦めもあって(相変わらず口コミに弱い・・・)、映画「BABEL」を観に行った。
菊池凛子の大胆な演技・・・の前評判は、評価として当てはまらなくて、普段の有り様(人間の存在意義)を考える上で、よーくよく考えさせられる作品だと思う。

淡々と流れていくはずの出来事が、ほんの一瞬の些細な行動によって、不可逆的な方向に人生が舵を切っていく群像劇。特にドラマティックな展開やアクションがあるストーリーではなくて、日常、今も世界のどこかで繰り返し起きているのでは?と思われるような出来事が織り合わされている。

どこかで眼にしている(偏見や偏向も入った)向こう側の世界に、ふと気付いたら自分がその向こう側の世界に引きこまれていた感覚。

それらがとても切なくて、心が痛く、悲しい。
自分の思いの伝わりきらない歯がゆさ、止められない不条理みたいなところも、見ていて辛くなる。

人間の個としての基盤が非常に脆いものであるということを再認識するとともに、危機に立たされた場面で表出する剥き出しの感情、奢り、感情の交わることの世界、切なさ、分かり合えない「孤独」、無力感、ひりひりするような「心の渇き」。つながろうとしてつながらない、心と心。

兄弟と過ごしていても、結婚していても、仕事をしていても、ただ一人じゃない、たくさんの人間・仲間に囲まれ、"誰かといる"はずなのに、満たされない・容赦なく襲いかかる孤独感。人肌恋しい気分。

個人的には、ここが抱える「孤独の闇」みたいなものがテーマになった。

他人とは分かり合えないからこそ、他人をどう思うのか、どう付き合っていくのか。
自分が不足したままで、他人を満たせるはずはなく、当然相手の必要にも気付かない。
なのに自分は、他から理解されることを、求め続ける。
他人と通い合っていたはずのものが、通い合わなくなってしまったいま、また通い合うものを失ったままであるならば、この自分がすべきことは何かを問いかける。
決して ご都合的な救いが与えることなく、映画の中では、少しの希望を見せて終わっていくのだけれど、モロッコ人兄弟が笑いあって山をかけるシーンを見るに、人生って、小さな出来事(しあわせ)の地道な積み重ねなんだな、と改めて思った。

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